【老後の話・婚約者、2年ものの冷蔵庫と死闘する】移住物語・美しき東京
2025-03-30 | TOSHI
【荒れはてた私の実家…婚約者が2年ものの冷蔵庫とくり広げた死闘!】
親愛なるフォロワー・読者の皆さん、こんにちは。TOSHIです。東京在住の日本人女性です。
やっと更新ができます。睡眠薬を変えるのに約二か月間もかかりました。
婚約者と2人で、名古屋近郊の、私の実家に挨拶に行きました。婚約者にとっては初めての顔合わせです。
私は残念ながら母とは死別、父は少しアルツハイマーが入って施設にいるので、私のきょうだいにだけの挨拶です。
久しぶりの帰省、東京から出るのも確か去年の夏以来です。婚約者と一緒に東京から出るのも初めて。いわば初めての旅行ですね。
実家に帰れるのは嬉しかったのですが、男所帯の私の実家は、変わり果てていました。
建物は毎日使ってはいるものの、限られたスペースだけなので、私が約半世紀を過ごした自室、お料理をいっぱい作った台所、皆で食事をしていた居間は、もう普段は誰も使ってはいないので荒れはてていました。
遺品もそのままなので、まったく突然、母と永遠の別れをしたことだとか、いろいろなことを思い出してしまって、家に帰っても、もうあの頃には戻れないんだなということを実感し、見ていると具合が悪くなりました。
ただ、私のきょうだいは1人では、お風呂に入浴剤も入れられない人で、お料理もできません。でも、私を東京に出してくれました。
僕の世話をする人間がいなくなるじゃないか、なんて言われたことはありません。今は、電子レンジでチンすれば食べられる冷凍食を取り寄せて、毎日食べているのだそうです。
その日も、テーブルがきれいではないので、テーブルの上に、紙をガムテープで貼ってまでして、一生懸命もてなしてくれました。涙が出そうでした。
そこで、買ってきたお弁当を並べて食事をしました。
私のきょうだいは働き者の優しい人です。うちの実家は商売をやっています。離れていた間に彼が社長になり、私達も名刺をもらいました。
きょうだいは、振る舞いも堂々としています。
「お母さんが亡くなったあと、器が大きくなったね」
と話していました。
一緒にアルバムを見たりして、顔合わせはつつがなく終わり、アルバムを一緒に見てその日は就寝しました。
ただ、ほのぼのした日はそれでお終いで、次の日は恐ろしい試練が待っていました。
実家には、私が家を出てから約2年間、ほぼ誰も、ほとんど開けたことがない、という、恐怖の冷蔵庫があったのです。
1回、帰ってきた私が掃除して、液体になったきのこだとか、本当に「ヤバい」ものは捨てたのですが、帰る時間があって、瓶詰めの食料などはそのままでした。それからまた1年が経っていたのです。
そういう冷蔵庫には何かが住みついて、卵、さなぎがびっしりついて、いっせいに孵化(ふか)して飛び散る……ということがあるそうです。
私が育った家でアルバムや本、着物などもあるのに、あの冷蔵庫が爆発して、私の家は汚染されてどろどろになって、皆、破滅するのだろうか、とずっと苦にしていました。少なくとも無くなるものではありません。苦にするというより、もの凄い恐怖でした。
そんな恐ろしい冷蔵庫と、今回、婚約者が闘ってくれるというのです!
救世主が現れました。きょうだいと、
「あの冷蔵庫きれいにしてくれるんだって! これで私達、破滅せずに済むね!」
「おお、そうか……凄いなあ」
と、2人で感慨に浸っていました。
婚約者は、恐怖の冷蔵庫の扉を開けても平然としていて、
「なんだ、これなら軽いよ。……俺は5年ものも片づけたことがあるからな」
と言って、到着した日も、スポンジ1つで、あっという間に洗面所をピカピカにしてくれて、
「こりゃあ、楽しい!」
と余裕を見せるほどでした。
その日は私が掃除用具を買いに行って平和に寝たのですけれど、次の日に地獄が待っていました。
【恐怖の冷蔵庫との闘いは、関ヶ原の戦いよりも長かった】
私が10時頃に起きると、婚約者はすでに、朝の7時から、朝ごはんも食べずに、台所に立ちっぱなしで冷蔵庫と闘っており、じょうぶな彼も、すでに焦燥していました。
その横には、なん10本という、調味料や食料のビンが並んでいました。
ほとんどが開けてあって、内容物はどろどろになり、あきらかに腐敗したものも少なくありません。これを1本1本片づけていくのです。
うちの台所はそんなに広くなく、2人は立てないので、足りない掃除道具があったのでまた私が買いに行き、そのあとは彼が1人でまた頑張りました。
午後3時頃、冷蔵庫はすっかりきれいになりました。
所要時間は約8時間。「関ヶ原の戦い」が約6時間でその勝敗が決まったといいますから、それより2時間長かったことになります。
「死闘だったよ」
と婚約者は言いました。
からになった冷蔵庫の中は磨いて、多少、頑固な汚れは残ったもの、すっかりきれいになり、何かがわいて家がめちゃめちゃになる可能性はなくなりました。きょうだいに重ねてお礼を言われて、今回の帰省は終わりです。私たちは名古屋のホテルへ。
【名古屋のリッチなマンション、でも… 自立とは】
次の日は、2人で名古屋市内のとあるマンションに行きました。
ここは、きょうだいが経営している会社と関わりのあるマンションで、彼が社長である間なら、タダで住んでもいいということでした。
閑静な住宅街の中にあるそのマンションは、しっかりしたつくりで4LDKあって、広いです。和室も凝ったつくり。駅前は今住んでいる東京の街にくらべれば静かですけれど、緑も多く、部屋の中にいて外を眺めると、東京の部屋では味わえない静寂と独特の心の安らぎが得られました。
そこで昼を食べて東京に帰ったのですが、死ぬまでは住めないであろうものの、
「仮に仕事を名古屋で見つけて10年、そのマンションに住めたら千何百万円のお金がうく、その分老後の生活を充実させられることになる」
などと話し合いました。ただ、多分死ぬまでは住めないのです。
私たちは同い年で52歳です。もう子供はできないし養子もとれない年です。何があるかわからないから、老後の問題について模索中なのでした。
私は東京が大好きで東京で死にたいと思っていますが、婚約者の方は特にこだわりがないのだそうで、
「スーパーの数が少なくても、俺が料理するからいいじゃない」
と、ニコッと笑ってみせます。
婚約者は、九州男児なのですけれど、家事が自分で全部できる人で、お見合いしたばかりの時は、45歳の人ともデートしていたそうですが、私を選びました。
そちらとはぎりぎりで子供もできなくはないのに私にしたんだな、と思いました。そう言うと、
「そんな小さなこと」
と答えます。
家事もなんでもできるから、1人になったらなったでかまわないのだそうです。これって自立ですよね。
結婚式もあげていないので将来どこに住むかという問題はまだ決まっていないのですが、東京に帰ってから、私は、節約にもなるからまた料理を頑張ったり、50代のうちに老後にもできる趣味を得た方がいいというので、社交ダンスの練習にはげんだりしています。今は教室も近いので、とりあえずできるうちに上手になっておこうというつもりです。
社交ダンスは90代になってもやっている人、珍しくないですからね。あと、病気になってから家事と離れていたのですが、具合がよくなってきたので、私も自立したいです。
半世紀ずっと一緒だった母との別れは突然で、たった30分くらいで「存命は難しい」と言われてその通りになりました。
私もいつか婚約者とお別れしますし子供もいませんが、自立しておいて、準備しておけば落ち着いてその日を迎えられるかもしれないですから。備えあれば憂いなしともいいますし。
本当は東京で物書き関係の仕事がしたいので、少しずつまた売り込みも頑張っています。いい話があったら教えてくださいね。
中年の皆さん、人生は長いかもしれないです。楽しめるよう頑張りましょう。
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